心の話

「精神疾患の人」じゃない。「その人自身」を忘れないために。

母が統合失調症になって、「母」という人間が「統合失調症の人」として見られていると感じることが、多々ありました。今まで1人の人間として見られていたのに、病院や、周囲の人や、家族でさえ、「精神疾患の人」として見てしまう。

実際に私の祖父、つまり母の実の父は、母の病気を理解せずに、母のことを「頭がおかしくなった」と言い、母の言葉を聞かなくなりました。母が自分の気持ちを必死に伝えても、「なにかおかしなことを言っている。病気でおかしくなってしまったからしょうがない」と、まるで聞き入れないこともありました。

母からしたらとても悲しいことだと思うし、近くで見ていても気持ちのいいものではありません。今まで1人の人間として生きてきたのに、どうして心の病気になったとたんに、言葉を聞いてもらえなくなるの?その人自身を見てもらえなくなるの?

その理由と対処法を考えてみたので、ここに残しておきたいと思います。

どうして「精神疾患の人」になってしまうの?

分かりやすく、「風邪をひいたAさん」と「統合失調症になったAさん」を比べてみることにします。Aさんに対しての周りの行動を、比較してみました。

「風邪をひいたAさん」の場合

風邪をひいてしまったAさん。周りから見たAさんの状況は、<「Aさん」という人間が、「風邪」をひいた>になります。そこにAさんは変わらず存在します。

風邪の症状はとても分かりやすく、風邪になった人も多いことから、理解されやすいのだと思います。風邪になったことがなくても、CMでは「熱・鼻・喉に!」など、風邪薬のPRが流れています。

つまり、風邪を引いた相手の症状が想像しやすいということですね。

症状が想像できるから、声かけもしやすい。「薬は飲んだ?」「栄養を取ってゆっくり休んでね!」と伝えることも、難しくないのかなぁと思います。

「統合失調症になったAさん」の場合

次に、統合失調症になってしまったAさん。周りから見たAさんの状況は、本来なら<「Aさん」という人間が、「統合失調症」になった>が理想です。「Aさん」は変わらず存在して、症状がプラスされた状態として見てほしい。

ただ、残念ながら、「統合失調症になった人」として見られてしまうことがあります。確かに存在した「Aさん」という存在が、いつの間にか「統合失調症」に取って代わられてしまうのです。

どうして、Aさん自身が見られなくなってしまうのか。それは、統合失調症など、精神疾患の症状がはっきり目に見えないからなのではないかなぁと思います。風邪のように症状が分かりやすくないから、Aさんの言動のどれが病気の症状なのか、理解することができない。

症状が分からなければ、声をかけて気遣うことも難しい。伝えたいことは、「薬は飲んだ?」「栄養を取ってゆっくり休んでね!」と、風邪と同じであるはずなのに。

症状が分からないから、その人の言動が理解できない。「Aさん」が理解できないから、「精神疾患の人」として見るようになり、やがてはその人自身を見失う。

「甘いものが好きなAさん」も、「映画を見ることが好きなAさん」も、「数字が苦手なAさん」も、「人混みが嫌いなAさん」も、すべてが消えて、「精神疾患の人」として括られてしまう。それはとても悲しいことだし、理不尽なことでもあると思うんです。

その人自身を見失わないための方法は?

じゃあ、どうすれば「Aさん」を見失わずにいられるの?考えてみました。

病気のことを「調べる」

病気のことが分からないから、理解できない。理解するつもりがないならしょうがないけど、もし理解したいと思っているのなら、まずは調べてほしいなと思います。

  • どんな病気なの?
  • どんな症状が出るの?
  • 薬は必要なの?
  • 周囲の人ができることはあるの?

すべての情報が「Aさん」に当てはまるわけではないけど、まったく知識がないよりは、ずっと理解しやすくなると思います。

分からないことは本人に「聞く」

先程書いたように、調べて出てくる情報は、すべてが「Aさん」に当てはまるわけではありません。風邪で考えみても、熱が出る人、鼻水が出る人、喉が痛くなる人、症状は様々です。

精神疾患も、その症状は人によって違います。症状の種類だけではなく、言われて嫌なことも、してほしいことも、されて悲しいことも、苦しくなる時期も、すべてが人それぞれ。

調べても分からないことは必ずあります。分からないなら、聞くしかありません。放っといてほしいのか、なにか手助けが必要なのか。どこまでならできるのか、できないのか。

聞かれる立場からしたら、「そんなこと聞かれたくない、察してほしい」と思う人もいるはずです。でも、「察する」なんてことはなかなかできない。だってみんなエスパーじゃないんですもん。「言わなくても分かるでしょ!構わないでよ!」と言われても、分かりません。心の中は見えないから、気持ちを伝えてもらわなきゃ、なんにも分からない。

聞く立場の人からしても、「こんなこと聞いていいのかな、傷つかないかな」と不安になることもありますよね。でも、聞かなきゃいつまでたっても分からない。分からないから距離ができて、やがてなにも聞けなくなって、気を遣いすぎて自分が疲れてしまう。

「傷つけないかな...」と思う心があるなら、知りたいと思う心は悪意ではないはず。その心配する気持ちは、きっと相手にも伝わると思います。

「傷つけたらごめんね。分からないから、あなたに聞きたいの」と、素直に気持ちを伝えれば、相手も答えてくれると思うから。

相手を「守られるだけの存在」だと思わない

これ、心の病気になった方の、ご家族の方に多いと思います。「自分が相手を支えて、守って、助けてあげよう!」と肩がガチガチにはってる感じ。

その気持ちはすてきだと思うけど、意気込みすぎて、やがて「支えてあげなきゃ、守ってあげなきゃ、助けてあげなきゃ...」と義務感になるのがとても心配です。

1人の人間を1人の人間が100%支えるなんて、そもそもが無理な話。いつかほころびが出るし、最悪の場合、自分がぐしゃっと潰れてしまう。

それに、相手だって、「この人に私のすべてを支えてもらおう!自分の全体重を預けて、一生担いで運んでもらおう!」なんて思っていないはず。むしろ、迷惑をかけていないか心配して、苦しんでいる方が多いように思います。

自分と相手は、本来対等の立場のはず。自分の力の限り相手を守らなくてはいけないと、意地にならないようにしたいですね。

自分のことも「支えてもらう」

心の病気になった人も、その周りの人も、それぞれの人生があります。誰かのためには生きられないし、自分の時間をすべて他人に与えるのは、とても不健康だなぁとすら思います。

自分の限られた時間の中で、切り離しても大丈夫な分を他人にあげる。その程度でいい。

ときには、相手の時間がほしいと思うときもある。助けてほしいときもあるし、支えてほしいときもある。そんなときは、相手に頼ってもいい。

お互いができる範囲で、相手を支えあえる関係。そんな関係を目指したいなぁ。

 

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私の母は、統合失調症になり現在も通院中です。父は双極性障害になり、気分の落ち込みがひどいときは会話すらできません。けれど、病気になる前の2人が消えてしまったわけではありません。

この記事に書いたことは、すべて母と父に対して私が思ったこと、今までにしたこと、してあげたいこと、してほしいことから考えました。主観がたっぷり入っているので、誰かを傷つけてしまったならごめんなさい。

なにか思いついたら、随時追加していきますね。