エッセイ

自分の欠点をさらけ出すって気持ちいい

ライターを始めて、自分の情けないところや未熟なところに、ここまで真正面から向き合うとは思わなかった。欠点をさらけ出すことが、こんなに気持ちがいいことも、今まで知らなかった。もしかしたら私はドMなのかもしれない。

 

高校生のころ、仲がよかった友達に「ななはあまり自分のことを話してくれないね」と言われたことがある。私の家に居候をするくらい親しかった彼女の言葉は、あれから10年以上経ってもまだ私の中に残っている。

「ななはいつも事後報告だから、それはやめなよって言いたくても、いつも言えないままだよ」

彼女の言う『やめなよと言いたいこと』に思い当たることはいくつかあったけど、当時の私はそれでもなかなか言えないことが多かった。

相談しても解決しないことを言っても意味がないと、なんとも理屈っぽいことを考えていた気がするけど、今考えるとただ自分を守っていただけのようにも思う。

 

言ったら自分がダサいと知られてしまうようなことを、当時の私は隠したかったんじゃないかなぁ。明るい私でいたかったし、かしこい私でいたかったし、かっこいい私でいたかった。

恋愛がうまくいかないことも、将来を決められないことも、家族とうまくやれないことも、すべて隠して。なんでもそつなくこなしちゃう、すてきな私でいたかった。

 

あれから年月が経って、私は27歳になった。ライターの仕事を選び、ブログも始め、文章を書くことが身近になった。悩んだら文字に起こし、頭の中をすべてパソコンに吐き出すことも増えた。

私の書いたものを読んでいる人で、実際の私を知る人はほとんどいない。嘘ならいくらでも書ける。なのに、自分が思っていることと、自分が書いたことが少しでもズレると、ぞわぞわと気持ちが悪くなってすぐに消したくなる。こんなことが言いたいんじゃないんだ!そう思って、デリートキーを連打することになる。

反対に、どれだけ自分が情けないことでも、それが事実でありさえすれば、書いていてとても気持ちがいい。自分の中のどろどろが消えていく感覚すらある。

こんなこともできない、こんなわがままなことを思っている。リアルじゃなかなか言えないことも、文章にはできる。自分のダサい部分をダサいまま書くことで、取り繕っている自分がとても滑稽に見えて、「まぁ、別にダサくていいか」と思えるようなる。

 

私の中には、きっと『秘密の欠点箱』がある。それがすでにパンパンになっていることに、今までは気がつかないふりをしていた。誰にも見られないように、上からぎゅうと押さえていた。

「かっこよく見られたい」
「がんばってるって思われたい」
「すごいねって言われたい」

最近の私は、その気持ちを認めたうえで、誰に見られてもいいやと諦めかけている。秘密の欠点箱からひとつひとつ中身を取り出して、広いスペースに並べるのがマイブーム。

欠点を認めるのって気持ちいい。誰かに知られるのも気持ちいい。箱の中身が溢れないように、気をつける必要もなくなる。

ダサい私をさらけ出しながら、生きていくのも悪くない。秘密の欠点箱がまたパンパンになる前に、小出しにしていかなくちゃ。